ドラマ『嫌われる勇気』へ向けて、日本アドラー心理学会が公式サイトに抗議文を掲載。


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日本アドラー心理学会というのがあるということを、初めて知りました。

フジテレビのドラマ『嫌われる勇気』に対する抗議文がどういったものなのか、公式サイトを探して読んでみました。

非営利社会法人日本アドラー心理学会は、書籍の『嫌われる勇気』著者である岸見一郎にも、本状(抗議文)を送ることを伝えていることも書いています。

 ドラマ『嫌われる勇気』の主人公・庵堂 蘭子を香里奈が演じているわけですが、主人公の行動そのものに講義しているのだろうか?

 

ドラマで蘭子が最初に、ケーキ屋さんでショートケーキを欲しがっている女の子が後ろに並んでいて、残り1個なのを買って食べていたのは、こういうキャラ設定というのを強調するシーンなんだろうなと見ていました。

女の子はショートケーキが食べられずに泣くのだけど、ケーキの種類はいっぱいあったから、他のを選ぶというので良いと思ったし、順番で並んでいるのに私のショートケーキとうるさい女の子だったから、どっちもどっちとしか思わなかった。

 

『嫌われる勇気』の本は読んでいないけど、「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」というのと、トラウマを否定というのが、アドラーの考えかなと思っています。

ただ、アドラー心理学というか、アドラーの思想?について、公式サイトの抗議文を読んでいて、他者の幸福のために行動するというのも、アドラーの教えというようなことが書いてあって、そういう教えがあったというのを知りました。

 

『嫌われる勇気』の原作は読んでいないのですが、続編の『幸せになる勇気』は少し読んだのだけど・・・最初の数十ページで難しくて挫折しました。

この岸見一郎(著)のアドラー心理学って、それぞれの人の解釈の違いが大きそうな考えのように感じました。

私が思った個人的な感想は、対話形式なのは良いのだけど、一言だけ読むと「はぁ???」というようなことを哲人が言ってから、会話しながら解説というのが、なんとなく合わなくて。

 

私が思ってることも、青年が言い返してるときが多いから、それで理解できそうにも思うのだけど、過去についての話のところで、今までに読んできたような自己啓発とは全く正反対の言い分についていけませんでした。

私が信じてきた今と過去との関係は、過去の私があって今があるというような考え。

 

それに対して、このアドラーの『幸せになる勇気』は、今の状況が過去を決める、というような意味なのかなと。

解釈が間違っているかもしれないのだけど、今の現状に自分が満足できていれば、不幸だった過去も肯定できるような思考になっているということかな?

それで、過去の意味が変わったりするから、本当の意味での過去は存在しない・・・?

確かに、今の生活に本当に満足していれば、過去を振り返ったりはしないかもしれないし、今が楽しくて幸せだから過去もどうでもよくなってそう(私が単純なところはあります)。

 

と、本の話になってしまいましたが、以前なにかのテレビで岸見一郎さんが『嫌われる勇気』のことで出演していたときに、ママ友の誘いに疲れている人は、断ってみてはどうでしょう、というようなのがあって、人に嫌われるのを気にしすぎないで自由を、という話だったと思います。

断って別の大きな何かに行けば、というような、うろ覚えですが

でも断って関係が悪くなっても、後々も付き合いが続く場合に、子どもも関係してきたりしないの?と・・・。

このテレビの放送も時間が短かったから、詳しいところまでは解説できていないのかもしれません。

 

ドラマ『嫌われる勇気』を私が観ていて、アドラーを意識しているのは、大文字哲人が青山年雄に講義をするところで、そこの哲人がいう言葉は、毎回楽しみにしています。

 

書籍『幸せになる勇気』で、アドラー心理学について

アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。

とあり、哲人は、アドラーから学んだことを一言で言うなら「愛」と表現し、

アドラーの語る愛ほど厳しく、勇気を試される課題はありません。

と、この哲人が語る「愛」の意味を知って、幸せになりたくなります。

 

日本アドラー心理学会は、ドラマの放映中止か脚本の見直しを要求していますが、このドラマを観て、アドラー心理学に興味を持った方もいるんじゃないかなと思ったりも。

ドラマ内だけでは、アドラーについて知ることは難しいから、本当に知りたいなら本を読んだりするだろうと。

私も知りたくなって少し読んで挫折したのだけどね(笑)。

 

ドラマを観ていたから、続くのかが気になっています。