今年も積読本が増えて入れる場所がないけれど、やっぱり紙の本が好き
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何年も前からになりますが、読書が好きなのか本を集めるのが好きなのか、自分でも分からなくなってしまっています。
インターネットで情報ってすぐに入ってくるようになっているじゃないですか。
それが時事問題だけでなくて、売れている本や読書感想まで読める時代になって
大変嬉しいことであるのですが、欲しい本が増えてついつい買ってしまうということになっています。
私が他人の本棚や積読に興味があるんですね。
どんな本を持っているのだろうって思うと、この前まで放送していた連続ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の津崎の部屋の本棚が気になったり。
津崎のマンションは、色んな場所に本を置いていて真面目そうな津崎さんはどんな本を置いているのだろう?と思っていました。
ちょっとだけ見えたときに、パソコン関係の本ばっかりだったので、私が読むジャンルとは違うから気にするのをやめたということがあったり。
また別のドラマ『IQ246』でジャズのCDをコレクションしている棚が出てくると、その棚を見たくなったりも(笑い)。
そういうことで、私と同じ感覚の人もいるかもしれないということで、少しだけ積読本を公開します。
『哲学の教科書 (講談社学術文庫) 』中島 義道(著)
この方は哲学の先生で「林先生の痛快!生きざま大辞典」でも紹介されていました。
林先生も凄く中島先生を好きで、本も自前で持ってきていたような気がします。
とにかく林修さんが熱く語っていたのが印象的でした。
この番組で紹介された本は別の本だったのですが、とりあえず持っていたこの本を読もうと思いながら、かなりな月日が経っています。
『セラピスト (新潮文庫 さ 53-7) 』最相 葉月 (著)
この本は、最相 葉月さんの以前読んだ『絶対音感』が面白かったのと、箱庭療法や絵画療法を受けて、自らもカウンセリングを学んだというのに興味を持って購入。
『ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫) 』ダニエル・タメット(著)
サヴァン症候群というものが、どんな感じのものなのか読んでみたくなって。
『脳はこんなに悩ましい (新潮文庫) 』池谷 裕二(著),中村 うさぎ(著)
最近、脳のことを知りたくなって、まだ読みやすそうだったので。
『夢をかなえるゾウ2 文庫版 』水野敬也(著)
前作の「夢をかなえるゾウ」は単行本で読みました。ガネーシャも良かったので、2冊目も読もうかなと思いつつも、なかなか読めていません。
単行本では「夢をかなえるゾウ3」も出版しているから、文庫本になったらそれも買うつもり。
というくらい、水野敬也さんの『雨の日も、晴れ男 (文春文庫) 』の話が好きで。
ポジティブすぎて笑える小説だった記憶があり、内容を忘れてしまっているので、こちらも再読したい本。
『思考の整理学 (ちくま文庫) 』外山 滋比古(著)
文庫本で出版されたのが1986年ということで、情報としては古いのかもしれない。
だが今でもAmazonの本の100位までのランキングに入っているときがある。
ずっと欲しかったので、今年になって買った文庫です。
レビューでは情報の整理方法などが書かれている本ということで、アナログ的なメモは紙に書いて置いておく私にはちょうど良いかもしれない。
『知の教室 教養は最強の武器である (文春文庫) 』佐藤 優(著)
名前はどこかで見たことがある方だな~くらいしか知りませんでした。
単純に本屋でこの本を手にとってぱらぱらめくって、教養をつけたいから買ってみることに。
『大泉エッセイ 僕が綴った16年 (角川文庫) 』大泉 洋(著)
大泉 洋さんと、「水曜どうでしょう」の番組が大好きで。
この文庫本を買おうか悩んで買わずに本屋から帰ってきたのだけど、やっぱり欲しくてこの本を買うために後日本屋に行きました。
『フェルマーの最終定理 (新潮文庫) 』サイモン・シン(著)
凄く売れているので、もしかすると私が読んでも理解できるかもしれないという期待で購入した本。
数学だけじゃなくて、近年では算数さえも計算のルールが多くて難しいと思ってしまうのですが、やっぱり知りたいんですね。
いつの日か、理解できるように頑張りたい本です。
と、書きながら積み重なっている本を見ていると、読みたい気持ちはあるのに読めていないのは何故か?って考えるようになり・・・
インターネットでレビューなどの感想を読んで、(存在はしない)ダイジェスト版を読んだつもりになれているなと。
レビューや感想を読まずに本を読めばいいじゃんって言われそうだけど、色んな方の読んだ感想や読み方って、すごく参考になるよね。
まあ、それで読みたい本も増えていっているわけだけど、楽しめているから良いのだと思おう。
子どもの頃みたいに、文章を読んで情景が思い浮かんでくるのもなくなって久しい。
自分ではそう思っていた。
最近途中まで読んだ小説のことを考えると、その小説が自分なりの映像で思い浮かんできたことに驚きもしたが、昔と変わっていない喜びも。
読書について上記の映像が思い浮かぶだけじゃなくて、音読することについて気になることがあったから、また別の雑記に書くことにします。
そういうことで、紙の本が好きな私です。
本の厚さを手で感じて、今どこら辺まで読んでいるか
これくらいの厚さまで読んだときの開いているこの場所に、こういったことが書いてあった。
特に印象に残った場面など、ここら辺だったなという感覚が好き。
それは電子書籍や目次が細かくあったとしても感じることが出来ない、自分だけの感覚のもので。
それを感じるために、出来る限り紙の本を読みたい。
これは、本だけに限らずCDでもあったことで、アナログ人間と言われようが手に取った感覚が欲しいんだと思う。
CDの場合は、所持しているCDをPCで気軽に聴こうと思って、MP3にして取り込んでいったのは良いが、殆ど聴いてないままになっている。
どういうことかと書くと、CDも手にとってデッキに入れて、たまに今流れている曲名を確認しながら聴くのがクセになっているのかもしれない。
PCに取り込んだのも持っているCDだから同じような気がするのだけど、何かが違って。
それは、BGMとして流しているというような違いでもなく。
自分でも、不思議な感覚を言葉にしようとしているというか、何を言ってるんだ!?状態なのだけど。
手で物に触れて使うのと、パソコンなどで簡単にクリックで終わらせるのでは、感覚に違いがあるように思う。
CDはいちいち出してきてCDデッキに入れるのが面倒だからという理由で、時間をかけてHDDに取り込んだのにね。
本もCDも入れる場所がなくて、色んなところに積み重ねています。
プラスチックの収納ケースにも入れていて、文庫本用収納ボックス「天馬 いれと庫」は、7個置いていたりします。(全部を積み重ねているわけではないので、積み重ねる場合は地震などに注意が必要かも)
2個×3列で置いていて、その上にまだ本を置いたりしているので、取り出すのが大変だけど、しっかりしているのが気に入っています。
コミック用やCD用、DVD用などがあるのも便利です。