立花式読書論 『ぼくはこんな本を読んできた』立花隆(著)を久しぶりに少しだけ読んだ
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私がこの文庫本を購入した当時の帯には、本文が少し載っていて
精読する必要はない。ノートもとらないほうがよい。はじめからそんなに張り切りすぎると、必ず途中で挫折する。ノートを取りながら精読したりすると、二時間で読める本に二日もかけてしまうことになる。一冊の入門書を精読するよりは、五冊の入門書をとばし読みしたほうがよい。
(本文より)
という一文が書かれていて、これは私が読書をすると本当にそうなるので、読書を普段あまりしない人向けの言葉かもしれないけれど、事実ということにしておこう。
昔はこういった方の読書本を読んで、読みたいと思う本を探したり、出版社の文庫本目録や夏の100冊などの無料の目録をもらってきたは、どんな小説があるのか楽しみながら読んだものです。
パソコンを持っていなくてインターネットも見られなかった時代は、こういった過ごし方をしていたのか~と懐かしくもあり、歳をとったのを感じてしまったりも。
こうして考えると、昔の私は読書が好きだったというか、活字が好きだったらしい。文庫本の目録も、喜んで読んでいたのが記憶に残っている。
今も活字を読むのはインターネットのニュースや掲示板などを読んでいるから、活字は読んでいる。
『ぼくはこんな本を読んできた』の著者の立花隆さんになると、
第1章「知的好奇心のすすめ」では、知りたい欲求がものすごいんですね。
遊ぶよりも勉強したいという欲求が強いというほど。
その上、立花隆さんは自分の年齢まで考えて、自分が満足できる脳の活動みたいなものも気にされています。
人間が持つ知りたいという欲求が強いだろうなというのは、よく子どもがどうしてなのかを分かるまで聞こうとして「なんで?これ何?どうして?」って聞いてくることも、好奇心が強いだけでなく、知識欲なんだろうなと考えられますよね。
こういう時期の返答の仕方が大切なのは分かってはいるけれど、難しいよね・・・私も親を困らせた気がする。
この本の中で、ギリシャの哲学者アリストテレス『形而上学』の第一行目が引用されていて、その文章は
「人間は生まれながらにして知ることを欲している」
という言葉で 、人間の本能と言ってもいいのではないかと、立花隆は書いています。
このアリストテレスの言葉だけではなくて、昔の本を読むと、えーこんな時代にもあったの?という考え方が書いていたりして、興味深い本もありました。数学関係だったような気がするけど、うろ覚え。
こういう風に年齢を積み重ねて何歳になっても、勉強したり研鑽を重ねている方は、とても尊敬します。
立花隆さんの場合は、ネコビルの本棚は圧巻で憧れる。私にとっては立花隆さんは「知の巨人」のまま。
『立花隆先生、かなりヘンですよ―「教養のない東大生」からの挑戦状! (宝島社文庫)』という本も過去には出版されていますが、読んでいないので分かりません。
読んだとしても、私の知識がなさすぎて、批判をしているのか、揚げ足をとっているのか判断つかないような気もしますし・・・。
また機会があれば、この本も読んでみたいとは思っています。
ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)
の本は、Kindle版もなくて中古しかなさそうなので、2016年に文庫化された読書日記らしい本のほうが買いやすいかもしれません。