『バカの壁』養老孟司、今になって本の題名の意味を知る
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私の場合ですが、読書をするときって、その時の気分で本を選ぶことが多いです。
それで少し読んでみて、この本みたいに考える本になると、一冊丸々は読まないことも。
この『バカの壁』は2003年に話題になって流行りました。
私が購入したのも、10年前くらいですね。
私のもの覚えの悪さでは、10年以上前に読んだ本は、読んだのかも覚えていない本がよくあります。
そういうわけで、お風呂でのんびり半身浴をしようとして、ちょうど本棚の『バカの壁』に目が行ったので手に取った一冊。
「まえがき」で、この本は養老孟司さんが話したことを、新潮社の編集部の人達が文章にしてくれたということ。
独白を文章にしてもらったのは、この本が初めてで、著者にとっては一種の実験みたいなものだということ。
題名の『バカの壁』は、最初の著書『形を読む』からとったもの。
「バカの壁」という壁の意味がが、壁に突き当たることというのは理解できた。
バカの壁という、ここで使われているバカという言葉が、なんとなくは分かるけれど、「じゃあ説明して」と言われると、無言になってしまう。
タイトルに、「バカの壁」の意味を知ったと書いているわりには、今も少し考え中。
ようするに学問において人間には理解できないことがあり、自分の理解できる範囲のものしか頭に入らない。
最終的に自分の脳の理解を超えると壁に突き当たる。それがバカの壁ということで合っているのだろうか。
第1章で「知っている」や「わかっている」という言い分を、どう考えるかということも書いていたので、この私が書いている「バカの壁」の意味が違ったら、最初から読み違っているということになりえるわけで。
「まえがき」に戻りますが、そこに問題には複数の解答がありえるということも書いているので、私にとっての「バカの壁」という意味は上記のようになったということにしておこう。
そういうわけで「まえがき」だけで、なるほど、そういう考え方もあるのか、と素直に納得できた日。
人生でぶつかる問題には、正解などないけれど、試験に正解のない問題を出すと怒る。
一つの問題に正解が一つというのが当然になってしまっているということを、本当にそうなのか考えてもらいたいと書いています。
考えながら読むと、まえがきだけでも深い本でした。
私が小学生だった時、算数なんかだと、どうしてそういう答えになるのか分からないまま言われた通りに計算していたものがあった気がします。
最近の算数は、たまにネットニュースになっていますよね。
掛け算に順序があったり、答えに小数点以下の0を書くと間違いとなったり。私が小学校の頃は、どう習ったのかも記憶にないのが悲しい~。